1901年、20歳のウィリアム・S・ハーレーは116 ccの小型エンジンと4インチ のフライホイールを設計、
2年に亘ってハーレーは幼なじみのアーサー・ダビッドソンと共に、ミルウォーキー北部の友人ヘンリー・メルクの自宅である機械工場で原動機付自転車(モペッド)の開発に取り組みます。
開発はアーサーの兄弟、ウォルター・ダビッドソンの助けを借りて1903年に完了しますが、
完成した自転車を試験すると、ハーレーとダビッドソン兄弟は即座にそれがペダルの助け無しに
ミルウォーキー周辺の丘を登ることが出来ないことに愕然とします。
1903年、エンジン開発のパイオニアであるオーレ・エヴィンルードの助けを借りて405 ccの大型のエンジンと9.75インチ (25 cm)のフライホイールを開発、先進的なループ・フレームにそのエンジンを搭載します。
数々の改良を加えながら1904年9月8日、ステートフェアーパークで行われたミルウォーキー・モーターサイクルレースに参加、このオートバイにエドワード・ヒルデブランドが乗り4位入賞。
1905年1月、「Automobile and Cycle Trade Journal」にハーレーダビッドソン製のDIY用ベア・エンジンの小さな広告が出される。
同年4月までに完全なオートバイが非常に限られた台数だけ生産され、その年、最初のハーレーダビッドソン・ディーラーであるシカゴのカール・H・ラングがダビッドソン家の裏庭の小屋で生産された5台の内3台を販売した。
1905 model1
シングルシリンダー 26.84cubic inches
当時は革製のドライブベルトを使用
3馬力を発生するエンジン
画像 ダグ ミッチェル ㈱スタジオタッククリエイティブ
1906年、ハーレーとダビッドソン兄弟は最初の工場をチェストナット・ストリート に建設。
(現在はハーレーダビッドソン社の本部となっている。)
この工場は40 ft × 60 ft (12 m × 18 m)の広さの木造建築で会社はこの年、およそ50台のオートバイを生産するに至る。
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